19 9月

「朝を迎えられることが当たり前なのか?」

朝を迎えられたことが当たり前ではなく、そこにはルーアハ(ヘブル語で「息」などの意味)にある生命があり、それを日々感謝する心ある人は、一日、一日を大切に、大切にして生きてゆくだろう。
その人の人生は、いついかなる時も、「山高きが故に貴からず」(本当の価値は外観によるのではなく、その実質によって決まるということ)の諺にあるように、外観ばかりを気にして生きる一日ではなく、中身(=実質)を大切にすることになる一日を重ねていくことになるだろう。
「幸いなるかな、幸いなるかな、我が人生」と賛美したい。